ものづくりのチーム



【kinoco/9坪ハウス】(2008年)【naname】(2009年)【多摩センターの住宅】(2010年)、そして昨年2011年は【千駄木の住宅】と、毎年、一作品というペースでおつきあいいただいている円徳建工の小澤さんが「SE構法」の冊子「SE105」に掲載されました。

僕とおつきあいいただける際には、僕は設計者、彼は施工者という立場として接するのですが、今回は、設計者+施工者として取り上げられています。
建築のポイントは、
・よりラーメン構造に近い「SE構法ver2」という新技術を使い、妻面方向の耐力壁をなくす。
・サッシの規格寸法に合わせて梁の位置を決め、梁に直接、サッシを取り付ける。
・内壁の仕上げパネルの割り付け寸法を無駄材のでないようにコントロールする。
など、設計と施工の間を行き来する小澤さんならではの観点が盛り込まれています。
構造だけではなく、仕上げ、納まりに関しても、細部まで考え尽くされている。

これを見て、今後の建設業者、特に中小規模の工務店とそこを支える人のあり方について、考えさせられました。
ひとつ。
施工者であれ、設計者の目線を常に自分の中に持つこと。
構造を工夫する、構造設計者と新しい工法のあり方や作り方について綿密にやり取りをすることは、良質な設計者であれば日常的に行っていることです。それを施工の立場と絡めて考えることは、設計者でできている人は少ないと思う。一方で、施工業者や現場監督で構造やパネルの割り付けについて、言及できる人もまた、少ない。下手をすると現場監督は、右のものを左に流す、設計者の(そしてクライアントの)言われた通りに(何も考えずに)発注する、下請け業者を手配するという業務で手一杯になっているひとがほとんどだと思う。
その中で、円徳建工の小澤さんのような立ち位置をとって、それこそリベロのようにフィールド内を走り回る体力と技術を持っている人物は希有だ。でも、その能力こそ、これからの工務店・ものづくりを支えるにあたって欠くことのできない資質である。

二つ目。
継続的なチームを作ること。
今回の冊子には表立って取り上げられていませんが、僕の設計を施工してくれる際に現場に来るメンバーはほぼ固定です。基礎・コンクリート・鉄筋・建て方の鳶、建て方から造作に至るまでを担う大工、給排水・電気などの設備系業者。これら工事を担当するメンバーが固定であることは、彼が担当する現場のクオリティに直結しています。
現場監督が手配師のようになってしまうと、現場が変わればその都度、異なる大工、業者との擦り合わせで疲弊してしまって、その先に本来作り手が発揮するべき工事の質ではないところ(金銭的交渉とか)に相当な労力が裂かれてしまう。もちろんそういった現場でも、工事の質自体は何らかのかたちでキープするのですが、そのために裂く現場監督、および僕ら設計者の作業量は、物理的にも精神的にも膨大になります。
【kinoco/9坪ハウス】【naname】を担当してくれた大工の佐藤親方は【千駄木の住宅】でも大工として腕を振るってくれました。また【多摩センターの住宅】でも作業が佳境の期間はヘルプとして来てくれる。【多摩センターの住宅】のメインを担当してくれた御村大工は、【千駄木の住宅】にもヘルプで来てくれました。今回の冊子で取り上げられた住宅の施主も、実はその大工です。
その点では、長野県の【大地の景色】を作ってくれた現場も似たような構成でした。こちらは松本の工務店で、工務店も、大工も、設備屋もすべて「二代目」であるという。親同士が仕事で(そしておそらく地域社会で)繋がっていて、それを見て育った二代目が、それぞれ家業を継いで、息子同士で仕事をしている。地域と人がそのように継続して繋がっている姿は、都市部から見るとうらやましい限りですが、都市なら都市でまた別の繋がり方、継続のさせ方があるのですね。

三つ目。
ものづくりを楽しむ心意気を持つこと。
小澤さんをはじめとして、大工の佐藤親方、御村大工、鳶の杉さんら、みんな、ものづくりが好きで好きでたまらないということを公言してはばからない。お金も少し好きだけれど、それ以上にモノのこととそれを扱う自分のことが好きなのだ。
そしてその好きな自分のベースには蓄積された専門性をしっかりと持っている。そのベースを元に、何を目指すかというと、モノの幸せであり人の幸せである。こんな言い方はしていないと思うけれど、僕なりに翻訳するとそういう表現になる。
「モノの幸せ」とは、モノが、無理なく合理的に設計やクライアントの意図に沿ってその場に定着されている姿のことです。
「人の幸せ」とは、そういったモノで構成される住宅によって、そこに住む人、使う人々の快適さ・心地よさ・嬉しさ・楽しさが生まれている状態のことです。

いやはや、そういうチームと一緒に仕事ができて、僕も嬉しいですよ。
チームの一員として動けることが、嬉しく、また楽しいのです。
一定の緊張関係でありながら、新しいチャレンジをしていきたいですね。


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# by ben_matsuno | 2012-04-26 13:47 | published/掲載・放映 | Trackback | Comments(0)

ザ・AZABU/中学生へ向けて


「麻布地域の人々が取材・編集する地域情報紙」vol.19(2012年3月26日発行版)の「KIDS' ハローワーク」で、松野が受けた取材記事が掲載された。

このコーナーは、子供たちが世の中の仕事をしている人たちに直接取材をして、その仕事内容を聞く企画です。今回は、港区高陵中学校の一年生、新舎洸城君と鈴木滝也君が取材にきてくれた。聞き手は中学生だったけれど、いま僕が大学や専門学校で教えている内容とほぼ同じ内容を、できるだけ噛み砕いて伝えたつもり。なぜなら、中学生になっていれば(もしくは小学校高学年くらいになれば)大人とほぼ同じ理解力がついているはずだから。

取材を受けていて、自分がこの子たちのころはどうだっただろう?と想像しながら受け答えしていた。僕が中学一年生の頃は世の中の仕事なんてほとんど意識していなくて、ただただ目の前の日々のことに没頭していたことを、昨日のことのように思い出しながら。図工で先生に褒められたことが嬉しかったりとか、クラブ活動で日が暮れるまでサッカーボールを追いかけたりとか、授業ノートの端にひたすらいたずら書きを書き続けたりとか。

いまもまた、模型を作ったり、デザインをしてクライアントに褒められたり、日が暮れるまで現場で埃まみれになったり、手帳にスケッチを書き続けたり。それは、実は中学生時代にやっていたこととまったく同じことをしている。もちろん、ただ無邪気にいたずら書きをしていては仕事にならないので、手を動かしている動き自体はほぼ同じだけれど、その間に考えていることは飛躍的に多いけど。スケッチをする、図面を書く、模型を作る、ということは、その表面上の行為の裏側が大事で、「考える」ためにスケッチや図面を書き、模型を作る。漫然と描かれたスケッチは、漫然とした「処理」にしかならない。「問題を洗い出して」それを揺すぶったり飛躍させたり他の要素と結びつけたりして(つまりそれが「考える」ということ)、クライアントが喜ぶ結果を導きだせて初めて「仕事」と呼べるのでしょう。

「好きなことや得意なことを仕事にできていいね」という風に、当時の同級生からも言われることが多いけれど、それはまあ結果論であって、その都度の岐路で僕を導いてきたのは、外から手を差し伸べてくれる人たちだったのだと思う。塩ビで作った多面体立体を褒めてくれた美術の高木先生だったり、サッカーを指導してくださった板村先生だったり、厭世的な質問にも応えてくれた社会の成田先生だったり。そういえば高校の美術の寺田先生もそこそこ褒めてくれたなあ。

天職とか、自分探しとか、適職とかを模索しようとしている学生たちも多いと思うけれど、それは外から与えられるものなので、自分から探しにいくものではないと思う。そのときそのとき、一瞬一瞬を精一杯生きて、与えられた課題に対して、与えられた枠組み以上のもので応えていくこと。それを続けていくこと。その先に、結果がついてくる(こともある)。

自分が直接教えている学生を見ていると、この「結果がついてくる(こともある)」という、()括りの中の不確定要素がどうにも耐えられない人をよく見かける。直接言葉では言わないまでも「何が正しい答えですか?」「どうやったらそこに最短距離でたどり着けますか?」「そのためのコツは何ですか?」という雰囲気をぷんぷん醸し出している学生が多い。

大切なのは「いま(この演習内に、この講義期間内に、もしくは卒業するまでに)」得られる結果ではなくて、卒業後に自分たちが直面する問題に対する「考え方のプロセスの原型」や「考え方のスタイル」、もしくや「型」や「スタイル」になる前の下地づくり、運動に例えて言うならば、筋肉の柔軟性や関節の可動領域を広げておくこと、なんじゃないかと思う。

スキルやテクニックは後からでもいくらでも身につけることはできるけれど、基礎体力や柔軟性や障害に当たった後の回復力は、なかなか後から身につけられるものではないように思う。

取材のお礼にいただいた「麻布手ぬぐい」、大切に使わせていただきます。


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# by ben_matsuno | 2012-04-11 12:06 | published/掲載・放映 | Trackback | Comments(0)

ウォーキングミュージアムというもの



兵庫県淡路島で「五斗長ウォーキングミュージアム」というプロジェクトを進めています。プロジェクト全体のディレクターは、芹沢高志さんとヴェルナー・ペンツェルさんです。
「ウォーキングミュージアム」とは、美術館という箱の中ではなく、豊かな自然の中を散策しながら、様々な体験を通して、アートの原型に触れていこう、という計画です。

初年度の今年は、地域の調査などを中心に、場所のポテンシャルを探ってきました。今年の活動のまとめとして、小さなブックレットを作成することになり、計画構想のヴィジョン、いくつかのプロジェクトのイメージ作成、そしてブックレットのデザインを行いました。

冒頭の写真は、でき上がってきたブックレット。
茂木綾子さんの写真が素晴らしい。

どうか、来年度もいいかたちで継続できますように。

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# by ben_matsuno | 2012-03-29 14:32 | 辺境的中心 | Trackback | Comments(0)

ソーシャル・アーキテクチャー:社会の仕組みづくり

歴史を紐解くと、近代(アドルフロース、グロピウスら)が設定した近代建築の主旨は、社会のニーズを掘り起こし、次の社会の基本構造<アーキテクチャー>を先取りしてつくりだすことだったことがわかる。
「近代建築=インターナショナルスタイル」と捉えられがちだが、その前に、中世の建築(ボザールを代表とする)のあり方(プロポーションや様式美、オーダー秩序からなる)の非効率性・使えなくなってきたこと、から、決別する必然性を持っていた。

現代に照らし合わせると、「建築家」は、アートや美術的側面に注視しすぎて、「社会の要請に応える」ということを見落としてきたのではないか。むしろ、ネグレクト、さぼってきたのではないか、とさえ思える。行き過ぎた分業体制というのは、デザイナーはモノに直接タッチしない。施工者がつくる。建築家・設計者は指示する。監理はするが、手は出さないといった姿だ。

建築家は、もっと自らの手でモノに触り、モノを加工し、手触りをかたちにするべきだし、もっと、自らの身体で人と接し、人の話しに耳を傾け、その中から必要とされていることを抽出するべきなのではないか。自らの内面にある質感・手触りをかたちにすること。

現代の(少し未来を見据えた未来の)、社会(=人々の集まり)の要請は何だろうか?
縮小社会の中で、いかにポジティブに生き延びていくか。そのための具体的方策と環境=場所のあり方、プログラム。
コミュニティの問題、教育の問題、家庭の問題、子供たちの問題。

そういった、社会が要請モノゴトに対して、直接、具体的に、応えていけるような一年にしたいと思います。
そのための具体的な姿は、追々、発表していけると思います。

今年の初心表明でした。

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# by ben_matsuno | 2012-01-01 08:15 | 考えたこと | Trackback | Comments(0)

辺境的中心論

先日、2011年12月21日、慶応大学で担当している「建築論」にて行った講義メモをアップします。
当日はダブルヘッダーで午前中の講義の後、時間が空いて、6限の夕方からの特別講義でした。
とりあえず、画像データで。




# by ben_matsuno | 2011-12-29 18:26 | 辺境的中心 | Trackback | Comments(0)

縮小経済・市民社会・辺境的中心・新しい公共

縮小経済、市民社会、辺境的中心、新しい公共。これらが次のパラダイムをつくるのだと思います。この辺りのことについて、きちんと考えよう。

縮小経済とは、地球規模の資源などのリソースに対して、人間の数が相対的に大きくなっていることから導き出される。物理科学をベースとしながら、経済学を手段にする。

市民社会は、国家をベースとする国民による社会ではなく、個々人が全体に対して責任をもつ社会。国家規模の補助金や助成金をあてにせず、独立的に営まれる社会。ちなみに国家と国民の英訳は、共に同じ、nationである。国家=国民=nationなのである。そのように僕たちの実感は感じていないのではないか?個々人の集合体が、たまたま国家としてまとまっているだけ。「国」に対して自分の「家」と同じ親近感と責任感と切実感をもって日々を過ごしている人は少ないのではないですか?

辺境的中心は、このブログで書いてきたような、力をもって自分がいる場所を面白がる人たちが複数人集まっている場所のこと。地方だろうが、都心だろうが、どこにでも、日本に限らず、全世界的に生成する可能性がある、地球上の独特な場所と人の混合体のこと。

新しい公共とは、縮小経済下で、市民社会を構成する個々人たちによって、辺境的中心として立ち現れるあらゆる場所に生まれる、新しいコミュニティの価値のことだ。

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# by ben_matsuno | 2011-12-07 00:50 | 辺境的中心 | Trackback | Comments(0)

【大地の景色】第43回中部建築賞 入選

先々月、現地審査のあった塩尻の住宅【大地の景色】、第43回中部建築賞の入選通知をいただきました。これも関係者一同のご助力のお陰です。


クライアントさんからのメールによると、塩尻は先週、初雪とのこと。
本格的な冬が始まりますね。

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# by ben_matsuno | 2011-12-05 12:59 | 作品 | Trackback | Comments(0)
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Natural LIFE, comfortable shelter.


by ben_matsuno

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