
ちょっと報告遅くなりましたが、先月末、千葉大学都市環境システム学科の総合講評会に行ってきました。
僕が担当しているのは三年生の計画系。今年は、できるだけ千葉の地元に近い場所を課題対象にしようということで「花見川流域」を選びました。花見川は川下から、幕張新都心、検見川・幕張の旧市街、花見川区の谷津を含む田園地帯と、異なる地相を流れる一級河川です。
都市環境システム学科では、建築物の設計だけではない、より広い視野で都市および人々の生活を考えるというプログラムを行っています。
今年の三年生は例年以上に熱心に取り組んでくれ、広域のマスタープランから1/200スケールの建築設計まで、前期を通じてレベルの高い提案をつくっていました。
演習課題では、エスキースという、課題制作過程でのアドバイスを繰り返すのですが、多かったのが「どういうことをしたらいいのかわからないんですが、何かアドバイスを。」という質問。
いやいや、大事なのは「君たちが何をしたいか、どういうふうに生活の環境を良くしていきたいか」ということであって、その内容を僕がアドバイスしては何のトレーニングにもならないだろう。
まあ、まだ学生で実際の都市(人々が集まって生活すること)や、建築空間、そしてリアルな生活、人間の曖昧さ、みたいなものに対する経験が少ないのはいたしかたないとして、現状に対する不足感や強烈な愛着なんかがないのかな?僕が学生の頃は不足感・不満だらけだったけれど。
不平不満ばかりで前に進めないのもよくないとも思うけど、安全な道、確率の高いこと、間違いのないこと、無駄のないこと、なんかに吸着していってしまう傾向を感じます。特に千葉大。もっと、無駄でどうしようもなくてあっち行ったりこっちいったり迷ったり、徹底した間違いにまみれてみたり、うまくいかなかったり、という経験が、学生時代には大切ではないか?
同時に担当している理科大(工学部)の方が、もう少しやんちゃな雰囲気を持っている。中には、グループワークの人間関係がうまくいかず提出できなかったグループもあったけれど、それはそれで「偉大なる失敗」だから、学んだことは大きいと思う。(理科大の総合講評会には、体調の都合で出席できなくてゴメン>理科大の学生諸君。事務所に課題を持ってきてくれたらあらためて見るよ。)
この辺のことを、時代が違う、というふうに皮相的に捉えちゃうとよくないと思うんだな。最近はとみに、本質は時代に左右されない、というふうに思うようになりました、私。
写真は、千葉大二年生の課題。幕張の巨大な街区模型をつくって、小さな提案がちりばめられています。こういう、一見無駄に見えるようなことが、実は後から効いてくるんだな。
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